なにが違うの? "成果"or"自己満足"
「集い」と「イベント」はもちろん同じ”想い”の部分はありますが、大きく違う点だけまずは説明します。
違う点を正しく理解し「行う意味」を考えるきっかけにして、今後の発展に役立てて頂ければ幸いです。
まず「その日身内だけ楽しめればいい」のか「行うことでの効果を求める」のかでは全くプロセスが違います。 集客がメインの”イベント結果”を求めてるのに、プロセスが”学芸会”では効果は出ません。
また”イベント”は結果が求められるので、イベント日当日が終わったとしても「効果」がダメなら成功とは言いません。
さて、地元で見かける催しは”イベント”でしょうか? ”学芸会”でしょうか?
「主催」の役割を考えてみましょう。
主催はイベントの全責任を取りますが、基本的に「実行委員会」などでは行いません。(簡単に言うと)
ピラミッド形式の組織図に則った役割で各企業や技術の役割分担があり、その統括するのですが「様々な意見」の上で、「多数決」で決める”学芸会”とは違い、専門のディレクター(監督)が決めるのが”イベント”です。
あくまで結果が求められるので、役所のように「多数決での平均的な意見」では辿りつかないと言うことです。
実行委員会内関係者のアイデアの『最大公約数』では、(効果を求める)イベントはやる意味を成しません。
「イベント」は「ディレクション」で結果が変わってきます。
「ディレクション」は「ディレクター」と言う専門技術、いわば「伝統工芸の職人」がものを作るような過程を大切にしています。
”思いつき”や”会議で出たアイデアの寄せ集め”ではなく、職人としての技術、経験則などで決めていきます。
このイベントの目的は何か? お客様が選択肢として選んでくださるのは何故か?
「特化」すること「選択肢」になることが必要なので、「多数決でのみんなの意見の妥協点」では100%効果は出ないのです。(もちろんあくまで”イベント”として効果を出す必要がある場合で、”学芸会”は目的が違います。)
主催は「特化」した技術を持つディレクターを雇い、その司令塔の元「チーム」を作ります。
当たり前ですが、主催がディレクターの専門的な分野のアイデアに口を挟むことはありません。
クライアントはただ「結果」…だけ望めばいいのです。
皆さんはお腹が痛くなった際に、お医者さんに「ここをこう切ってこんな手術してこの薬を使って、この金額で治してくれ」とは言いませんよね?
特化した専門技術者に「いくらで、こんなことを、こんな条件でやってくれ」… これがいかに間違った接し方かご理解いただけると思います。 これだけで地元で”イベント”と呼ばれるよく見る”催し”がどこか違う感じがわかると思います。 さらに効果を出すために深い話をしていきますが、直接説明を聞きたい方はぜひご連絡ください。
効果(成果)を求めると言うこと
さて次に「効果」です。 イベントの効果も様々で「利益」を出さなければならない場合、「損益分岐点」を考えたイベントになってるでしょうか? 私どもが地元で肌で感じたのは行政がらみで「利益」を目的としない”催し”が多い事から、同じように「収益」を考えてないイベントが多いこと。 また「効果」は「お金」だけではなく、例えば「地元の未来」がよくなるためと謳ったイベントもありますが、これも「綺麗事」で終わっていては意味がありません。「損益分岐点」同様、具体的にどのように地元の未来がよくなるのか?はっきりさせる必要があります。
このように”イベント”は行う事で、必ず結果に結びつく必要があり、結果を作るために”イベント”を行うのです。
具体的に「広報」の話をします。
例えば地元ではイベントの告知にチラシやポスターを作られることも多いですが、どのように発注しているでしょうか? そのデザインはどなたに任せているでしょうか? 主催者さんが”見栄えがいい”チラシで納得していますか?
地元の広報誌に載せてもらうだけで終わってませんか? その”デザイン”に注目しましょう。
本来イベントの広報は、広報で半分成功か失敗かが決まってしまうと言っても過言では無いくらい重要です。それを請け負うのが広告代理店という恐ろしく巨大な組織ですが、当然”広報”に責任感を持ってくれます。 このチラシのおかげでなん%売り上げがアップする、このポスターのおかげで集客がアップする、この記事のおかげで魅力が伝わる…などチラシやポスターを”見栄え”だけで作っているわけではありません。 たくさんチラシを刷ってあちこちの店に置いてもらうだけで「効果」は出ません。 むしろその経費がマイナスになります。
デザインはどのように誰が決めますか? そのデザインは「効果」を保証してくれるようなデザインでしょうか? そこまで一旦考える地元になれば、誰でもいいから「デザイン業者」に任せたり、ちょっとデザインソフトを使える人に格安で(や、無料で)頼んだりなどはしないはずです。 フリーペーパーに載せるからと言って業績がアップするかどうかです。
本来「広報」は、結果が出るプロセスを踏んでいるか、それが技術的に経験則に基づき根拠があるのか? など気にすることで見える景色が変わってきます。
試しに「結果を保証できますか?」と相談してみてください。 少しピリッとして今まで以上に考えてくれるかもです。
でもそれが「広報」と言う役割を果たしてもらう技術者の仕事なのです。
本質をめざせ! "ボランティアは愛"=間違い!?
表向きアバウトな「賑わいをつくる」や「市民の楽しみ」など、作る上では”綺麗事”はダメなのです。
きちんと専門的にプロセスを経た上計算され”目標(効果)”に向かうのですが、そこに具体性も根拠もないアバウトな”想い”ではダメなのです。
お医者さんが「健康にします」と言ってどんなプロセスを踏みますか? 具体的なゴールに向かうプロセスがあります。
なんの為にそのイベントを行うのか?
「お金を求めないからボランティアには愛(想い)がある」…地元でよくある風潮ですが、大きく間違ってる部分があります。
「プロフェッショナル」とは”愛(想い)の強さ”でプロになっています!
技術を習得する為に、長い長い下積みや修行を経て”プロフェッショナル”になっています。 その技術は「効果」を出すためのもので、お客様のための店舗経営と同じ”ウリ”です。
「儲けたいだけの業者」「体よく"ボランティア"をタダで使いたい」「中途半端な自己流技術」「1円でも安く」…こんな環境では、本来の求める結果(本質)には辿りつきません。
「ちゃんとした結果を出したい!」仕事の上で当たり前のモチベーションがありますが、「損害を出して」行うのは美徳でしょうか?
もし”想い”があれば、飲食店ではタダで提供してくれるのでしょうか?
「治したい!」という思いのある医者は、医療費を取らないのでしょうか?
無償や安価を我々”技術者”に求めることが、良い結果に結びつくでしょうか? 皆さんご自身の仕事に対する考え方と同じです。
我々は「イベントを行う事で結果を出す」それが”仕事”です。
準備や、方法、進め方など、プロフェッショナルとして”専門技術のプロセス”があります。
「なんとなくテイよく見栄えがよけりゃいいし」と、広報デザイン、照明や音響、映像さんからイベントディレクターまで、技術力を気にせず雇いますか? さて、それがイベントを行う効果に結びつくでしょうか? 100万円かけても100万円の効果は出ません。
自分たちの貴重な予算を、効果が出ないことに使うのは、大変もったいないことだと思います。
1万円で10万円の効果は出せません。100万円で200万の効果を求めないでください。 まず相場を知ることです。
相場は”プロもどき”から聞くか、「今まではこうだった」と地元の価値観で考えるか、全国的な専門家に聞くか、どんな情報が「効果」のためには必要かもうお分かりかと思います。
まず主催と呼ばれる団体や組織が、”ボランティア”をどう「利用してるか」で、そのイベントの”愛(想い)”がわかってしまいます。
「予算がないから」と言って、何を削っているか。 命を預けるお医者さんに「予算がないから」と言ってみてください。
イベント技術者は「イベントを行うことの効果」を大切な皆さまから預かっています。
さて、地元で見かけた”イベント”や”イベントの企画”、”イベント技術者”は、どうでしたか?
「本気」や「愛」と言うならば、どちらが真剣に取り組んでいるか、お分かりいただけたのではないでしょうか?